top of page

Taro

Tsurumi

大学院進学を考えている方へ

私に関係する分野(歴史社会学・ユダヤ史・ロシア・東欧・イスラエル/パレスチナ研究、エスニシティ・ナショナリズム論)全般にかかわる情報と、私の研究室をご検討されている方への情報です。

<もくじ>

大学院について

大学院に進むには

鶴見研究室について

社会人入学について

​大学院で研究するための基礎力独習法

大学院について

 

文系大学院に進学するメリット・デメリット>

研究者や専門職を目指すうえでは、大学院進学は必須です。特に研究者の場合は博士後期課程(なお、修士課程の別名は博士前期課程です。博士後期課程のことを単に博士課程と呼ぶこともあります)まで進んで、博士号を取得しなければなりません。かつての日本であれば、博士号がなくても大学で研究職を得られることもありましたが、現在では著しく不利になります。

国連や国際NGOなどの国際機関でも修士号はもちろんのこと、博士号が要求される場合もあります。しかし、日本の企業では、残念ながら文系の教育に対する理解が不足している傾向があり、ましてや大学院については十分に認識されていないため、修士号はマイナスにはならないまでも、さほどプラスにもならないようです(一応修士修了者のほうが初任給は高い場合が多いですが)。もっとも、コンサルなど、一部の業種は修士号があるほうが有利な場合もあります。ただ、博士課程まで進んでしまうと、現状、採用してくれる企業はかなり限られます。

したがって、単に大手企業に就職さえできれば御の字という方針であれば、大学院に進むことはあまり得策ではありません。あくまでも、大学院まで勉強を続けてこそ得られるものに関心があるかどうかにかかってきます。

修士を出て就職するにせよ、博士まで進んで研究職を目指すにせよ、人生をどうするか、また社会とどのようにつながるかという抽象的な次元でいえば、文系の大学院に進学するメリットは無限にあります。通り一遍に言えば、人間がわかっているつもりであまりわかっていない人間自身や社会についてよりよく知り、そのことを通して人生や社会をより豊かに、あるいは少しでもマシにしていくための知見を得る、というものです。別の言い方をすると、自分なりに社会とどのように、またどのような社会とつながっていくか、そして世界というものをどのように捉えるかについて、経済合理性や巷の価値観とは離れたところで、落ち着いてじっくりと考え、探求することができる貴重な機会が得られるのだと思います。

 

新しい研究を打ち出すためにはもとより、民間企業や官公庁、政治や文化の世界などで根本的に新しい価値や価値観を生み出すうえでも、こうした訓練は不可欠なはずです。「スーパー〇〇」とか「〇〇活躍」とか「〇〇改革」などと言葉ばかり躍らせてもほとんど何も変わらないのは、既製品を根本的に変えることなく、また、そもそも何が既製品なのかもよくわからないまま、それを上塗りするだけだからでしょう。

 

<大学院とはどのようなところか・どのように過ごすべきか>

日本の文系の大学院(特に総合文化研究科はそうなのですが)は、基本的には自分で勝手に勉強するところです。なんとなく過ごしているだけではいつの間にか2年目の夏前の修論中間発表会、ということになってしまいます。指導教員の側から定期的に面談を設定することは一切ありませんので、機が熟した、あるいは行き詰まった、と思ったときに自分から面談を設定します。あとは、ゼミにいくつか出て自分の発表もしつつ、ペースをつかんでいきます。大学院の同期などと何かしらテーマを決めて勉強会を開くのもおすすめです。学会や研究会の情報も自分で集め、必要だと思えば自分で勝手に参加します。大学院以降は、大学内よりも大学外(他の大学の同分野の研究者)のつながりのほうが重要になってきます。

つまりは、修士論文・博士論文まで、何の強制がなくても自分一人でコツコツと、来る日も来る日も勉強できるかどうか、自分から動き出せるかどうかに、ほとんどすべてがかかっています。

もっとも、これは必ずしもガリ勉にしかできない忍耐一筋の道というわけではありません。一つに、苦手な科目も、興味のない単元も、満遍なくやらなければならない大学受験の勉強と違って、大学以降の勉強は、進めば進むほど、好きなことを中心に勉強すればいい点で大きく異なります。もちろん、「を中心に」ですので、それを達成するための基礎体力である語学は地道にやらないといけなかったり、狭い専門だけでなく、なるべく広く勉強したほうがよかったりはしますが、やはり自分の研究が積み重なっていく実感があるので、モチベーションが違います。

もう一つ、モチベーションということでは、自分をいかにうまく乗せるかということについて、大学受験のときと比べると、より具体的に工夫しやすいと思います。自分の研究が何につながっていくかのイメージが持ちやすいからです。受験勉強は、せいぜい「グローバル化の時代、英語はできたほうがいい」とか「数学はいろいろなものの基礎になるらしい」とか、「とにかく偏差値が上がればいい大学に合格して達成感が得られる」とか、漠然とした、精神論的なモチベーションしか持ちにくいわけですが、研究は、直接ではないにせよ、社会の様々な部分とのつながりが見えるものです。門外漢からは「それ何の役に立つの」的なテーマでも、やっているほうからしたら人類への貢献が(潜在的には)半端なかったりします。

このとき、大学院がどのようなところであるのかということが改めてポイントになります。学部も多かれ少なかれそうですが、大学院というのは、狭い意味での自分自身の興味を満たすだけの場ではありません。どのような範囲でもいいのですが、自分自身や「お友達」を超えた範囲に何らかのよい影響を与えられるかどうかが試される場です。つまり、多少なりとも公共的なものを意識しなければなりません。

私自身の場合は、論理の戯れのようなものが面白くて学問の世界に惹かれた面もありますが、同時に、昔から漠然と世界平和に貢献したいという想いもあり、学問はそれに関わることができる営みだと考えたことも研究者を目指すうえで決め手になりました。私の研究テーマの中心にあるパレスチナ/イスラエルの紛争は、解決の糸口もなかなか見えない難しい問題ですが、せめて人類の今後のために、また、できれば当該地域の状況改善に少しでもつなげるために、その経緯をしっかり検証していくことが必要だと強く思ってきました。

社会とのつながりのなかで自分を位置づけることができれば、(たとえすぐにはそのことを社会から承認してもらえなくても)それは重要なモチベーションになります。人間は社会的な生き物ですので、それは本質的なことのはずです。つまり、自分が好きなことをやることに加えて公共的なことを考えるというのは、決して負担の純増なのではなく、自分を豊かにし、研究自体も深めていくことなのではないでしょうか。

文系、特に人文学寄りの院生・研究者は、基本的に個人事業主です。大学や学会は商店会のようなもので、いろいろと情報を回してくれたり、ちょっとしたことを融通してくれたりはしますが、事業が傾いても根本的には何もしてくれません。つまり、卵の時代からその道の大家の段階に至るまで、文系研究者は常に自分自身が自分の部下でもあり上司でもあります。どちらの声にも平等に耳を傾けつつ、潰れずかつ怠けないよう自分をうまくコントロールしていく必要があります。モチベーションのチャンネルが複数あれば、それだけコントロールはしやすくなります。ある部分が行き詰まっても、別の部分に当面は引っ張って行ってもらえるからです。

大学院に進むには

 

大学院の選定>

大学院の場合は、大学名や研究科名で選ぶよりも、自分がやりたい分野の研究者がいるかどうか、自分がやりたい研究が伸び伸びとできそうかどうか、その他関連するリソースはあるかどうか、といった観点から選びます。ただし、ある程度名のある大学のほうが、有能で刺激的な院生仲間に恵まれる可能性は高くなります。

経済的な支援体制についても、大学によってまちまちで、国公立は授業料は安いですが、私立でも、いくつか条件をクリアすれば、国公立よりも低コストになる場合もあります。

自分の研究テーマにぴったりな教員がいない場合も少なくないでしょう。私はそうでした。その場合は、大学院の枠組みが大枠で自分の方向性と一致しているかどうか、また、分野という点では重なる(つまり、専門的な指導はできなくてもある程度受け入れてくれそうな)教員がいるかどうかで判断することになります。専門として掲げられている看板だけを見るのではなく、その人の著作もいくつか読んでみることをお勧めします。専門が近くてもあまり面白くないと思ったり、ほとんどよくわからなかったりする場合は、相性はよくないかもしれません。逆に、多少専門がずれていても、面白いと思えば、何かしら得るものがあると思います。

<入試の準備>

文系大学院の場合、まずは語学がポイントになります。特に英語の場合、たとえ日本研究などで研究そのものではほとんど使わなくても英語で発信する機会は少なくない(発信したほうがよい)ので、この機会にしっかり鍛えておいて損はないです。また、語学習得は若いほど有利ですので、その意味でも「今でしょ」となります。2言語必要な入試もありますが、学部の段階で第2外国語も抜群にできる人はかなり限られますから(また大学院に進むとも限りません)、それほど悲観する必要はないです。

専門科目については、多様な専門があるなかで共通する部分を問うことになりますので、専門がある程度明確な大学院であっても、それなりに幅広い知識と視野が求められます。過去四半世紀ぐらいのスパンのなかで近隣の領域も含む広い範囲で注目されてきたいくつかのテーマについて、普段からアンテナを張って乱読しておくとよいと思います。

また、専門科目はB4サイズぐらいの解答用紙1~2枚の論述問題が主流ですので、文章表現力がカギを握ります。冬に試験をする大学院では、卒論も審査対象になりますし、いうまでもなく、大学院以降は論文の出来がキャリアを大きく左右していきますので、語学同様、今のうちにしっかり磨いておくといいです。学術論文のポイントは、論理の積み重ねが着実になされていることを明快に提示できるかどうかです。つまり、論理的思考力・表現力がモノを言います。また、陳腐な問いを立てないよう、普段から、身の回りの一つ一つを、惰性でこなすのではなく、なぜそうなのか、もっとよいやり方はないのか、など自分の頭で考えることを習慣づけることをお勧めします。

英語力と論理的思考力の両方を同時に身に着けるうえで、私が今でも「やっててよかった公文式」と思うのは伊藤和夫『英文解釈教室』(研究社)です(公文式はやったことはありません)。かなりハイレベルな英文も含まれていて、これがこなせればどのような英文も読めるようになりますので、大学受験時代にやらなかった方は、ぜひ完読して、論理的な文章そのものである解説をしっかり読んでみてください。

<経済的な問題>

大学院に進むにあたって、少なくとも修士の2年間の学費や生活費をどうするかという問題があります。学部までは親に出してもらうのが当然という風潮があり、わが子の大学進学を望む多くの親がそのつもりにしていますが、大学院は、特に文系の場合、そうとも限りません。ましてや学部時代から親に頼れない人はなおさら大変です。

日本は特に修士課程に関する支援は学部同様に少なく、研究者や高度人材を養成するための経費を公に負担するという意識が社会全体として弱いように思います。大学院によっては、修士の段階で優秀な院生に授業料を超える額の支援をする場合がありますが、数はかなり限られ、初めからあてにできるものではありません。

博士後期課程まで行くと、これも上位2-3割のみになりますが、日本学術振興会(通称「学振」)というところの特別研究員というのに採用されると、大学院で博士論文の準備をしながら最大3年間月額20万円がもらえるという制度があります。海外に短期・長期滞在する助成なども、博士後期課程になるといくつか選択肢が出てきます(修士課程でも国費交換留学制度はありますが)。

ですので、修士の2年間については、自力で何とかすることを考えておく必要があります。親をあてにできる場合はするといいと思いますが、できない/しない場合は、学部のうちに社会勉強を兼ねてバイトに精を出すことになるでしょう。学生支援機構の奨学金は、学部より若干額が上がります。成績優秀であれば返済免除となります。

私の場合は学部の時に、3年間、中学生の進学塾の講師とマックのバイトを掛け持ちして、最大週5(塾は平日は夜だけですが)で働いて修士の費用を貯めました。部活も週3ぐらいでできていましたし、学術書を読む時間はかなり確保できていましたので(その代わり必修の授業はサボることが多く成績は割とギリギリでした)、バイト三昧という印象はないです。

もっとも、私は修士2年間は下宿で、また学部時代から中古が大半とはいえかなり本を買っており、修士では学生支援機構のお世話になりつつもバイトを一切しなかったので、このぐらいの額が必要だったということです。実家に居候し、本は極力図書館で済ませるならば、最低限の書籍代・コピー代などを勘案して、国公立なら150万円ぐらい貯めておけばとりあえずは大丈夫ではないでしょうか。もちろん多少ならバイトをすることもできると思います。

いずれにしても、上記バイトは、それぞれお金以外の面でも「やっててよかった」と思います。10-20人を相手に教える塾講師については、大学で教える場合や学会発表する場合に、人に対してわかりやすくハキハキと伝える技術を身に着けるうえで大変役立ちました。今考えればいろいろとずいぶん常識がない独善的な人間だったと思いますが、忍耐強い社員さんと同僚の方々のおかげで、多少はマシになれたと思っています(え、それで?というご批判、甘んじて受け入れる所存でありますが、今でも大変感謝しているところです)。マックについては、土日の昼ピークに入ることが多かったので、小さい店舗だったこともあって、かなり手際よくやらないと回らない状況のなかで、無駄なく効率的に動く鍛錬になったように思います。仕事全般に関係してきますし、日常生活でも、料理をする際にキッチンを効率的に回す作法が身についたと実感しています。

鶴見研究室について

 

・私のような人文学寄りの文系の場合は、「○○研究室」と呼ぶほどの大層なものではないのですが、要は私と一緒に勉強したいというハイセンスな方は、どなたでも歓迎いたします。当然ながら、問うのは研究内容のみで、出身大学その他は一切問いません。

​・受験に当たって、特に事前に相談する必要はありませんが、質問があればお気軽にメールしてください。他の大学の方であっても適宜面談いたします。

・総合文化(≒駒場)の文系の研究室はどこもそうだと思いますが、基本的に教員も学生もそれぞれ勝手に自分のテーマをコツコツと進め、互いにあまり干渉しないというスタイルです。もちろん、面談やゼミの場では率直なコメントをしますが、それにどう応えるかは自由です。面談は特にこちらからは声をかけませんので、必要に応じて設定してください。

・これも駒場の少なくとも文系の教員の場合は現在では誰しもそうだと思いますが、恒常的に教員の研究につき合わせるということはありません。数年に1度国際会議を開催しますが、当日の会場運営と、直前に集中する招聘者の空港出迎え(私もします)に1~2名バイトしていただくものの(あと、ユダヤ教の食物規程に沿った弁当配達を探してもらいました)、それ以外にお手伝いいただくことはありません。教員からの頼みは断りにくいだろうという前提のもと(もちろん断っていただいてまったく構わないのですが)、極力学生の状況を見てお願いするようにしています。招聘者や事務とのやり取りはすべて私だけで十分に回る範囲でやっています。

・その代わり、指導学生のために発表の場を提供することも考えていませんので、各自、自分が最適だと考える学会等に積極的に応募してください。それ自体が大事な勉強だと考えています。草稿や助成等の申請書はもちろん見ますし推薦書も喜んで書きますが、それ以上のお世話はしないほうがいいと考えています。

・私のほうで研究費が十分にある時期は、単発のアルバイトのほか、リサーチアシスタントとして院生を雇用する場合があります(せいぜい月額数万程度ですが)。もちろん、これはあくまでもご自身にメリットがあるかどうかでお引き受けください。頼みごとを引き受けてくれなかったからといって恨んだりしませんのでご安心ください。

・私が指導教員になることができるのは、東京大学大学院総合文化研究科の以下のいずれかに入学する場合です。

 地域文化研究専攻(主所属)

 国際社会科学専攻(兼担)

 人間の安全保障プログラム(HSP;協力教員)

​ 国際人材養成プログラム(GSP:英語プログラム)

<現在もしくは過去の指導院生の研究テーマ(学年順)>

・戦間期リトアニアのナショナリズムとソ連崩壊後におけるその記憶(→HSP助教→博士号取得→学振CPD)

・現代イスラエルのLGBT運動と動物の権利運動(学振DC1;博士号取得→筑波大助教)

・エストニアのロシア語系住民の社会統合とアイデンティティ(イギリスに留学中)

・現代イスラエルの兵役におけるジェンダーとエスニシティの交差(学振DC2;博士号取得→学振PD)

・イスラエルのアメリカ系移民と入植地(HSP)(イスラエル・アメリカで調査中)

・ソ連の言語学者ニコライ・マールの理論とその背景(修士修了→コンサル会社に就職)

・ガリツィアにおけるユダヤ人の農業と民族間関係

・現代日本のナショナリズム言説(コンサル会社から再入学→博士号取得→立教大助教)

・近現代トルコのウルトラナショナリズム(トルコ出身;GSP)(修士修了→欧米系人材コンサルに就職)

・ソ連における第三世界からの留学生と担当教員(HSP)(修士修了→公立大事務職に就職)

・メディアにおけるパレスチナ表象(HSP)(→他研究室へ転出)

・ポーランドにおける記憶文化の歴史(学振DC1;ポーランドに留学中)

・フルシチョフ期ソ連、特にジョージアにおける地下鉄・都市計画の政治史(学振DC1)

・社会主義期・体制転換期ポーランドにおける製造業と家族経営(社会人入学)

​・在日フィリピン人とフィリピンパブ(HSP)

・日露の女性起業家(ロシア出身;外国人研究生→帰国)

・19世紀前半のガリツィアにおけるナショナリズム

​・パレスチナ・ガザ出身者のアイデンティティ(HSP)

<受け入れ教員となっている日本学術振興会PD研究員の研究テーマ>

・現代ユダヤ社会におけるイディッシュ語話者とラディーノ語話者の言語活動(→本研究室特任研究員)

​・イラク・ユダヤ人とシオニズム

原則としては、ユダヤ人、ロシア東欧、パレスチナ/イスラエルを中心とした中東、ナショナリズムやエスニシティ(日本関連も可)のいずれか一つに関するテーマであれば、特に歓迎します。ディシプリンは社会学を中心とした社会科学を基本としますが(社会学に寄せる必要はありません)、人文学でも、その方面の専門家の助言を仰ぐのであれば問題ありません。

社会人入学について

 

他大学同様、本学では、いわゆる社会人(日本語で、「会社」という意味が「社会」の中心になってしまっているのはなんとかしたいと思っていますが、習慣にひとまず従います)の方の入学を歓迎しています。現在、私の指導学生のなかには修士課程に社会人入学の方が1人おり、業務経験を活かしたテーマを研究しています。また、博士課程に社会人経験者(入試としては一般枠で、現在は研究に専念)が2名おります。前者(修士)の方は、会社の寛大な取り計らいにより、業務量は従来通りでも時間の使い方は比較的自由で、授業に支障なく参加できています。長期履修制度を利用し、2年分の授業料で3年かけて単位を取得する予定です。

一旦大学の外で働いて視野が広がったからこそ、改めて大学での学びに価値を見出せるということはよくあるのだと思います。私自身はストレートに大学教員にまでなってしまいましたが、今だからこそ他の分野の価値も少しは理解できるということはよくある気がしています。もっとも、時間がなくて自分の分野の勉強で精一杯ではありますが、体がもう一つあったら、大学院で別の勉強もしてみたいところです。

修士課程では、2年間で修了する場合は、2年次の前半までは、毎学期週に3~4コマ程度、最後の学期は指導教員のゼミのみ出席という感じが標準的なところで、あとは自分で好きな場所で勉強・研究し、適宜指導教員と面談をする(半期に1、2回程度が普通でしょうか)ことになります。ですから、会社が多少融通してくださり、平日の授業出席(と若干の勉強)が可能で、土日は原則研究に充てるという形が取れれば、仕事をしながらの修了も可能なはずです。もちろん研究テーマにはより、語学を本格的にやらなければならないとか、海外で長期滞在が必要などであれば、休職して集中するしかないとは思います。そのあたりの塩梅はご相談ください。

なお、大学で研究者として職を得ることを希望される方は、現状では、よほど社会人経験が研究内容とリンクしていない限りは、年齢を考慮する必要があります。公募では一般に、他大学からの移籍ではない初職の場合、40歳あたりを過ぎると採用率がかなり落ちると言われています(ぴったりとは限らず数年は猶予がありそうですし例外もあります。定年が遅い私学では少し後ろ倒しになるかもしれません)。したがって、できれば30代半ばまで、遅くとも40前までには博士号を取得し、1つぐらい教歴をつけておくことを目標にしていただく必要があります。

​そうでない場合は、もちろん年齢は関係ありません。いろいろな年齢層の方がいるほうが楽しいのでありがたいです。

大学院で研究するための基礎力独習法

 

論理的思考力>

​日常生活含め、何事に対しても「なぜ」を問うことを習慣にすることが大事です。なぜこの用語や議論は必要なのか、無駄のない効率的な方法は何か、など、経路を最適化するhowについても問うとよいと思います。例えば、自宅から大学までの経路を幾つかの観点から効率化することを考えてみてください。単に早く着くというだけでなく、多少遅くても電車が空いていて本が読みやすいとか、少し歩く部分があって運動を兼ねられるとか、総合的に効率性を評価する視点が重要です。

 

(1)英語の勉強を兼ねて、上記の伊藤和夫『英文解釈教室』を読破する

なぜこれが主語と言えるのか言えないのか、なぜこのthatが接続詞ではなく関係詞と言えるのか、などとことん論理的に考え、かつネイティヴと同じ思考回路で読めるように伝授してくれる解説が秀逸で、いまだに英語教育者でも追随者がいます。

(2)野矢茂樹『​新版 論理トレーニング』産業図書、2006

文字通り、論理的思考力のトレーニングができます。

<要約力・編集力>

目の前の文章をサイズ自在に要約する力、また、議論を組み立てる際に必要なところと優先度が低いところを見分けながらトリミングしていく力は、相互に関連しているはずです。これは、多くの研究者は割と自然に身に着けて、当たり前にやっていますが、できないと致命的になる基礎力ですので、苦手な人は早急に克服する必要があります。二次文献を吸収し、論文に組み込む際に当然必要ですし、一次文献の内容を効率的に論文に落とし込んでいくうえでも必須です(もちろん、プロが書く論文と違って、何でも淀みなく明示されているとは限らない一次文献やインタビューは、行間を読むことも必要になりますが、それはあくまでも行自体をしっかり読める力があってこそです)。

以下の方法は、最近考え付いたので私自身がやってきたわけではないですが、先行研究の吸収を兼ねることができ、効率的だと思います。

・読む予定の、要旨付きの学術論文を、要旨を読まずに本文だけ読み、その内容を自分で400字(200 words)程度に要約する。

・その論文についている要旨を見て答え合わせをする。

・それと大きくずれる場合、読みが甘いことを意味するので、そういうズレがなくなるまで、他の論文も同様に読んでいく(ただし、論文要旨は著者が自分で作成し、査読者や編集者も要旨についてはあまり細かく見ないので、最適な要旨ではない可能性はある)。慣れてくれば頭でさっと要約する訓練に移行する。

<外国語作文>

大学院入試では特に必要ないですが、大学院、特に博士課程では英語などで論文を書く機会が出てきます(というか書いたほうがいいです)。まずは英作文の指南書を買って取り組むところから始めるのでよいのですが、あとは論文らしい文章を書くためには数をこなす必要があります。効果的な練習法は、日本語版と英語版がある学術書を入手し、その日本語を自分で英訳し、英語版で答え合わせをする、というものです。もちろん、それと違った場合に自分が書いた英語が間違っているとは限りませんが、なるほどこう書けばいいのかと勉強になります。

<先行研究の吸収>

その道の大家になっても、新しいテーマに取り組む際は毎回先行研究の調査から始めますので、重要な基礎力です。まずはGoogle Scholarなどでキーワードをいくつか入れて検索することから始めますが、その先については以下を組み合わせてみてください。

 

(1)近いテーマの学術書や学術論文の序章・序論を読む

学術文献は、必ずそのテーマの先行研究を挙げながら持論の独自性を提示していく手順を取っていますので、序章・序論は先行研究のカタログになっています。

(2)ハンドブック類に当たる

日本語でもいろいろとありますが、英語でもSAGE Handbook of...とかOxford Encyclopedia of...、Routledge Companion to...などの名前でその分野の主要なテーマについて、研究状況に触れながら概要をレビューした項目群から成るハンドブックがたくさんあります。重要文献の漏れがないかを確認するうえでも重宝します。

(3)学術誌の研究動向論文を探す

例えば『社会学評論』では「テーマ別研究動向」「分野別研究動向」のコーナーが設けられることがあります。歴史では、『史学雑誌』が、毎年「回顧と展望」と題した特集号で地域・時代別に、その年度の日本語の研究がレビューされています。英語では、Annual Review of Sociologyは文字通りに、諸テーマの研究動向をレビューした論文を載せています。いろいろと探してみてください。

(4)書評を先に読む

学術誌は、当該分野の本を比較的網羅的に書評します。あれもこれもしっかり読むのは大変ですし、特に洋書など本屋で立ち読みすることができない場合にいきなり買うのはハードルが高いかもしれません。Google Scholarで目当ての書名と"review"を入れて検索すれば大体どこかで書評されています。新聞の書評と違って、どの書評もまずはその本の各章の要約を書いてくれているので(短い書評では全体をまとめて、ということもありますが)、わざわざ買って読むべきかどうかの判断ぐらいはそこでできることが多いです。もちろん、書評自体も勉強になります。

<その他>

とにかく先行研究をたくさん見て、まずはスタイルを真似てみることが基本になります(内容を真似ると剽窃になるのでご注意ください。何が剽窃に当たるのかも、大学院に入る前に再確認しておいてください)。もちろん、なぜ真似る必要があるのかも自分の頭で考えながら、です。流行ってる研究だからとか、なんかかっこいいから、とかの思考停止はダメです。

 

【追記22.1.7】

先行研究を幅広く見なければならないのは、研究で最も重要なオリジナリティに関わるからです。勉強を始めて数年の分野で思いつくことは、大抵、世界のなかで誰かが思いつき、すでに研究に着手していて、成果が部分的にでも出ているものです。そうしたなかで、意義ある研究テーマを見つけるという、いわば「マーケティング」の重要な部分を先行研究の渉猟過程は占めるわけです。すでに売られているものを売りにすることはできません。もちろん、学問は普遍的ですから、日本語圏で新しいというだけではオリジナリティの足しにはまったくなりません(たとえば、「私は日本語圏ではじめてiPS細胞を見つけました」と言っても意味が分からないですよね)。必ず英語圏と、そのテーマでよく研究されている言語圏の研究は確認してください。研究計画書では、そのこと踏まえたうえで、オリジナルな研究が生まれる見込みがあることを明示することが大事です。

 

学問において、決まった経路というのは一切ありません。経験則として、このように進めたほうが効率がよいというのはある場合もありますが、それまでの蓄積や研究テーマ、手法、さらには自分の性格との兼ね合いで変わってくるものです。他人を参考にすることはとても大事ですが、最終的には総合的な観点から、問いのみならず経路も自分で選んでいくとオリジナルな成果に結びつきやすいです。

 

また、既存のものでも新たにそのいくつかを組み合わせるというのもオリジナルな研究を生み出しやすい方法です。例えば私の場合、歴史学でしかやられてこなかったテーマに社会学的な視角を導入したことは効果的でした。もちろん、歴史家並みに自分で史料を読むわけですが、観点が違うと、既知の史料や既存の研究の読み方・位置づけ方も違ってきます。

 

学問は、一方で、何かを一から自分で勝手に作り出すのではなく(それをすると捏造になります)、すでにある壁をいくつも乗り越えていく局面を非常に多く含みますが、他方で、壁をどう乗り越え、どのように進んでいくかはきわめて自由でもあります。そこがほかに代えがたい学問の面白さであり、社会に対して新たな価値を提示することができる余地でもあります。

アンカー 1
アンカー 2
アンカー 3
アンカー 4
アンカー 5
DSC00547 (small).jpg

© 2018  Taro Tsurumi

bottom of page